(2026年4月26日)
コリント人への第一の手紙から、理性を働かせた具体的な準備と、神様の導きに柔軟に従うパウロの生き方を学びます。
礼拝メッセージ音声
イントロダクション
「人生の計画を立てても、その通りにいかない」――そんなもどかしさを感じたことはありませんか? 今回の箇所は、そんなことを私たちが感じたとき、どんなふうに考えて行動すればいいかを教えてくれています。
1.献金の取り扱いと予定
エルサレム教会への献金について
聖徒たちのための献金
(1節)さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたとおりに、あなたがたも行いなさい。
死者の復活についての指導が終わり、また新しいトピックに移ります。それは、「聖徒たちのための献金」についてです。「聖徒」というのは、この場合にはエルサレム教会のクリスチャンたちのことを指します。

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この後パウロがコリントに行き、そこでローマ人への手紙を書いていますが、その手紙の中で次のように記しています。
(ローマ15:25-26)しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。
エルサレムでは激しい迫害に加えてたびたび飢饉が起こったため、エルサレム教会の人々は困窮していました。
そして、この手紙を書いたときのパウロは、小アジアの西部にあるエペソという町に滞在していました。エペソに来る前は、小アジア中央部のガラテヤやピシディアの地方にある諸教会を巡りました。その時に、エルサレム教会に対する援助を命じたというわけです。
そして今、コリント教会の人たちにも、同じようにエルサレム教会支援を求めています。
それは、困窮しているエルサレム教会の人たちへの愛を表すためです。しかし、パウロはそれ以上の意味をこの支援に込めています。先ほど読んだローマ書の続きには、次のように書かれています。
(ローマ15:27)彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。
異邦人は、ユダヤ人から救いに関する知識を受け取りました。そして、かつてはユダヤ人だけで構成されていた神の家族の共同体に加えてもらいました。お世話になった人たちにお返しをするのは当たり前だという考えです。
具体的な準備
(2節)私がそちらに行ってから献金を集めることがないように、あなたがたはそれぞれ、いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい。
ここでは、支援のためのお金をどのように用意するか、具体的に提案しています。パウロがコリントに到着したとき、一度に多額の献金を用意するのは大変です。ですから、毎週少しずつ積み立てておくようにと言います。非常に実際的ですね。
そして、パウロは献金の額や収入に対する割合を示してはいません。「収入に応じて」と述べているだけです。聖書の別の箇所では、次のようにも述べています。
(第2コリント9:7)一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
教会が額や割合を決めるのではありません。各自が自分で決めてささげます。毎回同じ額をささげる人もいれば、日によってささげる額が違う人もいます。それは自由です。
大切なのは、神さまは額や割合ではなく、ささげる私たちの心をご覧になっているということです。あふれるような愛の動機で、あるいは神さまへの感謝や喜びの心でささげものをしたいですね。
ところで、パウロが言う「週の初めの日」とは、日曜日のことです。伝統的に、ユダヤ教徒は安息日、すなわち土曜日に神殿や会堂で礼拝をささげていました。そして、聖霊なる神さまが最初に下ってこられて教会が誕生した頃、クリスチャンたちは毎日神殿に集まって礼拝したり、家々に分かれて交わったりしていました(使徒2:46)。紀元30年代のことです。
さらに時代が進んで、この頃、すなわち紀元50年代になると、日曜日に集会のために集まる習慣ができあがっていたようです。日曜日はイエスさまが復活なさった日ですから、特別な日と考える人たちが大勢いたからでしょう。
ただし、安息日が日曜日に変わったわけではありませんし、聖書が「日曜日以外の礼拝は無効」と教えているわけでもありません。
献金を届ける方法
(3節)私がそちらに着いたら、あなたがたの承認を得た人たちに手紙を持たせてエルサレムに派遣し、あなたがたの贈り物を届けさせましょう。
集まった献金をどのようにエルサレム教会に届けるかについても、パウロは述べています。
パウロが受け取って届けに行くのでは、「パウロは献金を着服するつもりではないか」という疑念を招く可能性がないわけではありません。
実際、1世紀から2世紀にかけて、金儲けに走る巡回伝道者たちが各地の教会で問題になっていました。教会を指導するのに対価としてお金を要求したり、次の場所に旅立つ際に旅費をせびったりしたのです。
そこでパウロは、コリント教会の中から代表者を選び、彼らがパウロの書いた推薦状と共に派遣されるようにすると語っています。それによって、お金の扱いについて透明性を保とうとしました。
パウロの同行について
(4節)もし私も行くほうがよければ、その人たちは私と一緒に行くことになるでしょう。
ただ、状況によっては、パウロ自身も派遣される人たちに同行することもあり得るとパウロは語ります。神さまはどのような導きをなさるか分かりません。自分なりにしっかり計画を立てながらも、神さまが違う道を示されたなら、パウロはすぐに従う柔軟さを身につけていました。
実際に後日、パウロは献金を携えていく人たちに同行して、エルサレムに向かっています(使徒20章)。
パウロの予定
マケドニア経由でコリントへ
(5節-6節前半)私はマケドニアを通って、あなたがたのところへ行きます。
この段階では、エペソを出発した後、マケドニアに行き、それからコリントに向かうというのがパウロの計画でした。
マケドニアはギリシア北部で、ピリピ、テサロニケ、ベレアといった町に教会がありました。そして、コリントはギリシア南部のアカイア地方にあります。
コリントでの滞在期間
(6節後半)マケドニアはただ通過し、 おそらく、あなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。どこに向かうにしても、あなたがたに送り出してもらうためです。
マケドニアには長く滞在するつもりはないが、コリントにはある程度の長さ滞在するとパウロは言います。
8節で、五旬節、すなわちペンテコステまではエペソに滞在すると言われています。五旬節は今の暦で5月中旬から6月中旬ですから、その後でコリントに行って冬を越すとなると、8カ月は滞在することになるでしょう。
そして、その後エルサレムに行くか、それとも別の場所に行くかはまだ分からないけれど、とにかくコリント教会の人たちに見送られて出発すると言います。
パウロのコリント滞在についての願い
(7節)私は今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくありません。主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。
パウロは、コリントでは短期間の滞在にしたくないと語ります。ただ、それはイエスさまがお許しになればの話です。自分自身の計画と神さまの計画が矛盾するなら、当然神さまの計画の方をパウロは優先しました。
この後、パウロは実際には5-7節のような行動を取りませんでした。コリント教会の状況がさらにひどくなったことを知ったパウロは、エペソでの活動を終える前に、一時的にコリント教会を電撃訪問して指導します。
しかし、それが効果を発揮しなかったため、エペソに戻ってから「涙の手紙」と呼ばれる非常に厳しい調子の手紙を送りつけました。そして、テトスという弟子をコリントに派遣して指導を任せると、自分はエペソを去ってマケドニアに向かいました。
マケドニアでは、当初はほとんど通過する程度の予定でしたが、実際にはテトスと再会するまである程度の期間滞在することになりました。
パウロが当初の計画通りにコリントを訪問しなかったのは、第一の手紙にもかかわらず悔い改めない人たちがたくさんいたからです。このままコリントに向かったのでは、パウロはその人たちを厳しく処分しなければなりません。
パウロは、罪を犯している人たちに自発的に悔い改めてほしいと願いました。そこで、テトスがマケドニアに来るのを待って、彼の指導の結果を聞いてからコリントに向かう計画に変更したのです。
エペソにとどまる予定と理由
(8-9節)しかし、五旬節まではエペソに滞在します。実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです。
コリント人への第一の手紙は、紀元55年頃、エペソで書かれました。先ほども申し上げたように、五旬節は5月から6月頃ですが、その少し前に書かれたのでしょう。
冬は海が荒れて船旅はできませんが、3月中旬になれば可能になります。しかし、もう少しだけエペソにとどまるとパウロは言います。それは2つの理由からです。一つは伝道のチャンスが広がっていて、できるだけたくさんの人たちを救いに導きたいから。
もう一つは、福音に反対する勢力が力を増しているため、エペソ教会の人たちが十分対抗できるよう、もう少しだけ訓練を続けたいから。
パウロという人は、寝ても覚めても、福音宣教と教会の人たちの霊的成長のことを考えていたということですね。
テモテとアポロについて
テモテ派遣の予告
(10節)テモテがそちらに行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようにしてあげてください。彼も私と同じように、主のみわざに励んでいるのです。
パウロは、自分がマケドニアに旅立つ前に、テモテとエラストを先にマケドニアに派遣しました(使徒19:22)。テモテたちは、その後コリントに行くことになっていたのでしょう。
エラストは、ローマ16:23によると、コリントの町の収入役です。ですから、コリントに自分の家があります。しかし、テモテは外から訪問する人なので、コリント滞在中はコリント教会でその生活の必要を賄ってやってほしいと頼みます。
と言うのも、テモテもまたパウロと同じように伝道の働きに生涯をささげている人だからです。
テモテを軽んじてはならない
(11節)だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安のうちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちと一緒に戻るのを待っています。
テモテはまだ若く、20代後半の年齢だったと考えられます。ユダヤでも、ローマやギリシアでも、40歳に満たない人たちはまだまだ経験不足だということで、軽く見られがちでした。
特にコリント教会の人たちは、教師たちを比較して好き勝手に論評する悪い癖があります。テモテに対してそのような真似をしてくれるなと、ここでパウロは釘を刺しています。
私たちクリスチャンが評価されるのは、年齢でも性別でも学歴でも出身地でも見た目でもありません。主のみわざに忠実に励んでいるかどうか、です。
アポロのコリント訪問について
(12節)兄弟アポロのことですが、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くように、私は強く勧めました。けれども、彼は今のところ行く意志は全くありません。しかし、良い機会があれば行くでしょう。
伝道者アポロは、第2回伝道旅行でパウロがコリント教会を開拓し、そこを去った後にコリントを訪れた伝道者です。アポロは、旧約聖書の知識が豊富で、しかも雄弁な語り手でもありました。そして、反対者たちを次々と論破し、また教会の人たちを聖書に基づいて教え育てました。
そういうわけで、コリント教会の人たちは、パウロやペテロと並んでアポロのことも大変尊敬し、慕っていたのです。
そのアポロですが、このときエペソにいて、パウロと協力して伝道や教育の働きをしていました。そこで、コリント教会からパウロにさまざまな質問が届いた中に、アポロはいつコリントに来るのかという質問も含まれていました。
問題の多いコリント教会を心配したパウロは、アポロにコリントに行ってはどうかと勧めたのですが、当のアポロはコリントに行くつもりはないと答えていました。
コリント教会には、分派分裂の問題があって、アポロ派というものも存在していました。そういう状況で自分が顔を出すのは好ましくないとアポロは考えたのかもしれません。そうでなくても、今はエペソで活動する方が優先されると考えたのでしょう。
パウロは、そんなアポロの意思を尊重し、あえて強制はしませんでした。
ただし、アポロもパウロと同じく、自分なりの考えや計画を持っていながらも、イエスさまが示されたならそちらを優先する人です。ですから、パウロは、機会があればアポロはコリントに行くだろうとも答えています。
それでは、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
2.人の計画と神の計画のどちらも尊重しよう
神の計画が示されていないことはしっかり計画を立てる
神さまは、私たちの人生のあらゆる事柄について、「こうしろ」「ああしろ」といちいち指示はなさいません。多くのことについては、私たちの自由意志にゆだねておられます。パウロは、神さまの導きがなければ何も行動しないという態度を取っていません。
一方で、行き当たりばったりに行動していたわけでもありません。神さまが何も語られていない事柄については、聖書の教えを土台にしながら、何が最善か自分の理性を使って考え、計画を立て、その通りに行動しようとしました。
特に聖書の教えで大切なのが、愛の実践です。どのように行動することが、相手を本当に大切にすることになるか考えて行動するのです。
パウロは愛のゆえにエルサレム教会への募金を呼びかけました。また、愛のゆえにテモテを教師として尊重してくれるようコリント教会の人たちに求めました。
ただ、どれほど完璧だと思われる計画を立てても、状況が変わって当初の計画通りに行かないこともあります。その場合も、やはり聖書の教えを元に計画を立て直します。
以前、新興宗教の信徒の人がテレビでインタビューを受けていた時に、その人は繰り返し「頭を捨ててください」と語っていました。しかし、クリスチャンになるということは、理性を捨てることではありません。牧師の命令を無批判に受け入れるということでもありません。
聖書に何が書かれているか考える。そして、今この状況にその教えを当てはめた場合、具体的にどのように行動するべきか考える。特に愛を実践するとは、具体的にどう行動することなのか考える。つまり、頭を使う生き方なのです。
なので、クリスチャンになると、認知症になりにくいかもしれませんね。
神の計画が示されたらそれにすぐ従う
クリスチャンとしての生き方は、反理性ではありませんが、超理性ではあります。私たちの頭ではこれが最善だと判断したとしても、突然神さまが違う道を進むよう示されることがあるのです。
たとえば、私たちは次のような方法で神さまの導きを感じ取ります。
- 祈りの中で何度も「こちらに進め」というかすかなかすかな促しを感じる
- 特定の聖書の箇所が印象深く心に浮かんだり目に飛び込んできたりする
- 幻が見えたり、誰かの言葉や何かの情景が印象深く心に響いたりする
- 周りの状況が、まるで自分をその方向に導いているかのように展開していく
もしもその内容が、聖書全体の教えに矛盾していないなら、神さまが新しい道を示しておられるのかもしれません。
- もちろん、たとえ鮮明な幻を見せられたり、はっきりした肉声のような声を聞いたりしたとしても、「あいつを殺せ」とか「会社の金を着服して献金しろ」などという導きは、神さまからのみこころではありません。聖書に反するからです。
さらに、「こちらに進むのがあなたのみこころですか?」と祈ったとき、心の奥底に深い平安を感じるなら、それは神さまからの語りかけだという可能性が高まります。
そして、そのことを信頼できるクリスチャンの仲間たちに相談してみます。他の人たちにも祈ってもらい、同じように神さまのみこころかもしれないという回答を得たら、ほとんど間違いなくみこころだと判断して良いでしょう。
神さまのみこころを知ったなら、パウロのように当初の計画は潔く捨てて、みこころの方を新しい計画として採用しましょう。 神さまのご計画の方が、もっとすばらしいからです。
この話をお読みください。
19世紀の終わり、イギリスのある若い女性は動植物、特にキノコに強い関心を持っていました。そして、独自に観察と研究を積み重ね、プロの研究者顔負けの論文まで書き上げます。そして、王立植物園で研究を許されるまでになりました。
ところが、彼女の研究が進むにつれ、同僚の研究者たちは彼女に冷たく当たるようになりました。そして、学会への参加を、女性であるという理由で却下されてしまいました。せっかく書いた論文も、自分では学会で発表できず、しかも代理人がタイトルだけしか読み上げなかったとさえ言われています。当時はまだまだ性差別が根強く残っていたのです。
こうして、科学者への道を閉ざされた女性は、意気消沈していました。そんなある時、この女性の家庭教師だった人の4歳になる息子が、病気で寝込んでいるという話を聞きます。女性は、この男の子を励ますために、4匹のうさぎが登場する物語を絵手紙で送ります。
この女性の名前はビアトリクス・ポター。あの絵手紙は、その後『ピーターラビット』として世に送り出されます。
もしも、ポターが科学者として成功していたら、ピーター・ラビットは誕生しなかったでしょう。神さまが一つの道を閉ざされる時、私たちはがっかりしますが、もっとすばらしい道が用意されています。
他の人の行動についてもバランスのとれた見方をする
パウロは、自分の計画と神さまのみこころの両方を大切にする生き方を自分自身がしただけでなく、他の人の理性と信仰の決断も尊重しました。
コリント教会にあった、傲慢、分派分裂、不品行、礼拝の混乱、復活の否定などの問題について、パウロは行動を改めるよう厳しく命じています。それは、それらの問題が明らかに聖書の教えに反していたからです。
しかし、一方でエルサレム教会への献金について、一人あたりのノルマを押しつけたりはせず、一人ひとりの判断に任せました。聖書によれば、クリスチャンはもうモーセの律法のささげものの規定に縛られていないからです。
また、アポロにコリントに行くよう勧めましたが、アポロ自身が「行かない」という決断を出したら、無理強いせずその判断を受け入れました。アポロの判断は、それ自体が聖書の教えに反してはいないからです。それどころか、アポロなりにコリント教会への愛を実践するために、あえて行かないという決断をしたと考えられます。
私たちは、聖書という譲れない一線は守りながらも、それ以外については他の人たちの判断、行動、ライフスタイル、好みなどを互いに尊重しましょう。金子みすゞさんの詩ではありませんが、「みんな違って、みんないい」のです。